幸福追求権

フィクションだったらよかったのに

宇崎ちゃんの献血ポスターについて、広報の側面から考えたこと

日本赤十字社による「宇崎ちゃんは遊びたい!」とコラボした献血促進ポスターが、ここ数日話題になっている。

bunshun.jp

私はこのポスターについては、否定的な立場をとる。

広告業界の隅っこにいる人間として、日赤はまずいやり方をしたなあと思うし、たまに献血に行く一人の女性としてもシンプルに残念に思う。

Twitterで検索すると、日本赤十字社がどの程度公的なものであるかとか、そもそも宇崎ちゃんの表現は性的なのかとか、他の有名な漫画における巨乳キャラの存在や性的表現はどうかとか、表現の自由とか、現実に胸の大きい女性の気持ちを男性のオタクが代弁してたりとか、オタクがきもいとかフェミニストがうるさいとか、元の問題が何であったか忘れそうなくらいに話が広まり、あちこちで論争が起きている。

ジェンダーに関する問題提起が為されたとき、いつもごった煮の闇鍋みたいな様相を呈してしまうのは何なんだろう。様々な意見を見ていると自分の考えまでぐちゃぐちゃになりそうだ。ジェンダー論に関しては難しくて私の中では考えがまとまりそうにない。

しかし、広告業界に身を置き、企業と消費者を繋ぐコミュニケーションに関わる人間として、この件がどうまずかったのかは言語化できた方が良いだろう。

広報的な側面から、私なりに考えたことを書き留めておく。

集客のためにどこまで魂を売るのか

私が日赤の広報担当だったら絶対にこんなことしなかったのに、と素直に残念なのだが、日赤の広報やキャンペーン企画はどんな人たちが担っているんだろう。どういう考えでどんな会議を経て今回の成果物が世に出ることになったのか、とても興味がある。企画書とか流出しないかな...。

普通に呼び掛けても集客できないから、コンテンツの力を借りて献血の基準を満たす人間に来てもらおう!とアニメや漫画、アイドルなどとコラボするのは有効な手法だと思う。今までも日赤は多くの漫画やアニメ、その他影響力のある様々なコンテンツとコラボしており、それぞれのファンを集客してきた。

今回も「宇崎ちゃんは遊びたい!」とコラボすること、そのものは問題ではない。性的な内容も含まれる漫画ではあるらしいが、それは実際に読んだことのある人にしか分からないことなので、やり方によっては問題にならなかったはずだ。

何がまずかったかというと、クリエイティブである。

過度に胸が強調された給仕服を着た後輩らしき幼げな顔の少女が、「センパイは注射が怖いから献血しないんスか」と挑発的に煽るというものだ。

コラボキャンペーンを実施する場合、注意しなければならないのは「集客」と「ブランドイメージ」のバランスである。

コンテンツとコラボするときに見込まれる効果としては、

①親しみを感じさせる

②そのコンテンツのファンの興味をひく

の2つがあると思う。

例えばドラえもんクレヨンしんちゃんなど誰もが知っているコンテンツとのコラボは①である。「あ、ドラえもんだ」と幅広い人々の関心を薄く引きつけることができる。知名度があり、かつ概ね好意的に受け止められているコンテンツの力を借りることで、まずは知ってもらい、悪くないイメージを抱いてもらう効果を期待する時に実施したい方法だ。

集客の効果は低めだが、ブランドの周知とイメージアップに結びつく。

一方、②そのコンテンツのファンの興味をひく効果があるのは、一般の知名度はそこまで高くないが、熱心なファンがいるコンテンツとのコラボである。

これは何が良いかというと、コンテンツを支えるファンが少ないほどファンの熱意は高い傾向にあり、集客に結びつきやすい。母数が少ないのでそのコンテンツを知らない大多数の人には素通りされてしまう。だがその分、ファンは自分がコンテンツを支えなければくらいの気概でいたりするので、素通りせずお客になってくれる可能性が高い。

ブランドの周知やイメージアップには寄与しないが、集客には結びつく。

 「宇崎ちゃんは遊びたい!」は誰もが知っているような国民的なコンテンツではないので、②の効果を見込んでいたのだろう。宇崎ちゃんファンの興味をひき、献血ルームに足を運んでもらおうと。

その戦略はいい。

しかし、 「大多数の人は素通りするが特定のファン層に刺さる」を実現するためには、大多数の人に素通りしてもらわないといけない。

今回のポスターは集客したい欲が前に出過ぎたのか、宇崎ちゃんが常にこうした特殊な巨乳表現で描かれなければならないと決められているのかは知らないが、素通りできずにツッコミを入れる人が多数現れ、騒動になった。

大多数の人が素通りできるクリエイティブにしていたら、宇崎ちゃんファンでない人の脳内でいらない情報として処理され、意識に上ることもなかったはずだ。

「宇崎ちゃんファン以外の人が素通りできるか」という視点での熟慮が欠如したままこのキャンペーンを実行し、素通りできないクリエイティブを公共の場に出してしまったのが日赤の失敗である。

「宇崎ちゃんは遊びたい!」が多少なりとも性的な表現を含むコンテンツであるならば、クリエイティブは特に慎重に決定されるべきだった。

公的な性格の事業を展開する日本赤十字社が、性的な表現を含むコンテンツとコラボすることがそもそもブランドイメージには良くないことだと思う。悪くはないけれどグレーゾーンというか。

ブランドイメージに良くないことを集客のために行うというのは、魂を売り渡すような行為だと私は思う。そこまで必死になる理由もきっとあるのだろうから、決して否定はしないけれど、自分のクライアントには絶対勧めない。

集客のためにどこまで魂を売るのか、難しい問題だとは思うが、宇崎ちゃんを知らない人にまで「エッチな漫画に魂を売りましたよー!」と宣言するような今回のクリエイティブ、やっぱり相当まずいと思うのだ。

なんでまずいクリエイティブが世に出ちゃったのか

このポスターに関わった人たちは、おそらく時代の流れに鈍感なのだと思う。

今回のクリエイティブ、宇崎ちゃんファン以外の人が素通りできないというよりは、時代の流れによって「素通りしてもらえなくなった」というべきかもしれない。

Twitterでの議論を追う中で、昔の漫画やアニメを引っ張り出して「巨乳を強調する表現は他にもあり、受け入れられている」という主張が見られた。

 

たしかに昔からこういった表現はあり、批判の声もあっただろうが見過ごされ、広く一般に受け入れられてきたのは事実だろう。

しかし時代は変わっていくもので、常識もまた変わっていくものである。「先例があるからOK」というのは、「私は自分の頭で考えるのをやめた馬鹿です」と宣言するに等しい極めて愚かな発言である。

時代に合わせて価値観をアップデートすることができなくなった時、人は老害になるんじゃないだろうか。

女性が女性であるがゆえに不愉快な目に遭うことが、やっと可視化され、問題視されるようになってきたこの時代に生きていることを、今一度自覚してほしい。

幼げで巨乳な給仕姿の少女が男性を煽るポスターを献血ルームの前に置くことで、宇崎ちゃんファンではない人がどう思うか。女性はどう思うか。

もしかしたら女性の献血希望者を遠ざけることになる可能性もあるかも、とか一瞬でも疑問に思ってほしかったというのは望みすぎかもしれないけれど。

私がもし献血をしようと訪れた先でこのポスターを見たら、またの機会にしようと諦めると思う。露骨に性的かつ挑発的な美少女キャラのポスターにつられてやってきた男性が中にたくさんいると思うと、正直足を踏み入れるのは怖い。(もちろんこれは私一人の意見なので、気にしない女性もいるだろうが。)

レイプ、痴漢、ストーカー、覗きなど性犯罪が後を絶たないこの国において、女性はその容姿にかかわらず、多少なりとも自意識過剰気味に自衛し、身を守るためにリスクを避けて通らざるを得ない。

コアな層を狙っての集客キャンペーンが有効なのももちろん分かるが、万人に開かれた献血ルームであるために、時代の流れには敏感であってほしい。

エッチな本はベッドの下に隠そう

まあでも、問題として取り上げられ、議論が紛糾しているというのは意識が変わりつつあるということだ。

いい加減、公共の場での性的な表現は控えましょうと。

(エッチな本は家族に隠れて読みましょう、とコトの本質はそう変わらないと思うのだが、エッチな本を家族の前で読める男らしい人たちもまだまだいるのかもしれない。)

問題提起してくれたアメリカ人男性のような方や、ネット上でも男性でありながらこのポスターのまずさを指摘する方がいることは、一筋の希望である。

変化は急激には起きないけれど、着実に変わっていっていることに希望が持てる。この変化の遅さだと、私はきっと女性が女性であることで損をしない世の中を見ることは叶わないだろうけど。

 

最後に、日本赤十字社の人には誠実な対応を期待したい。

失敗したときの対応はものすごく大事だ。人間にとっても、団体にとっても。

おそらく今回の件についてまだ公的な声明は何も出ていないと思うのだが、悪い印象を持った人がそれなりの数いる中で、ダンマリを通すのは不誠実だ。

一企業の対応としていかがなものか。広報の人、ちょっと目を覚ましてほしい。

黙っていればやり過ごせると思っているのかもしれないし、確かにいつまでも議論が盛り上がっていることはないだろう。ただ、しばらく経って話題に上らなくなったとしても、今回のキャンペーンで良くない印象を持った人が完全に忘れ去るわけじゃない。

もしかしたら今回のキャンペーンに問題はなかったという認識でいるから黙っているのかもしれないが、問題がなかったにしてもこれだけ問題視されていることについて、何かしらの見解は示してほしい。

もし失敗だったと思っているならば、謝罪して再発防止に努め、その姿勢を積極的に見せれば、むしろ株を上げるチャンスに転換できる。

公的な事業を多数手掛け、多くの人命を救う力のある日本赤十字社には、時代の変化に敏感であってほしいし、誠実であってほしいと思う。

自臭症だったはなし

「えっ!?わたしの口、臭すぎ...???」

ネットサーフィンをしていたら、不安を煽ることで商品を買わせようとする広告が出てきた。

わたしはこの手の広告が嫌いだ。だいたい必要以上に汚い画像も添えられていたりするので単純に嫌な気分になるし、自社の商品を買わせたいがために安直に他者を不安にさせようとする心の持ちようが気に食わない。

それは今回どうでも良い。

わたしも自分の臭いに病的に悩んだ時期があったなあと久々に昔を思い出したのだ。

 

「自臭症ですね。」

行きつけの小児科の先生は言った。

「自分が臭いと思い込んでしまう心の病気です。実際には決して臭くありませんからね。臭いんじゃないかと不安になった時には、お母さんに嗅いでもらって確かめるといいでしょう。」

今この瞬間も自分が臭いと信じて疑わない14歳のわたしは身を縮こませて一言も発さず、私を病院まで引っ張ってきた母親は悲しそうな顔で先生と話していた。

 

私は中学生の時いわゆるいじめられっ子だったのだが、「くさい」という言葉には特別苦しめられた。

いくら歯を磨いても、体を洗っても、私はきっと内側から腐って腐臭を発しているに違いない、人間の形はしているけれどみんなとは違う生き物なんだろう、と本気で思っていた。内臓も全部取り出して、空洞になった体もひっくり返して石鹸で洗いたかった。

せめて体の表面だけでも臭いを減らせるようにと、毎朝早く起きては1時間以上も風呂場を占拠してアカスリで全身をこすり続け、皮膚からは血が滲んでずっと痛かった。すれ違う人に臭いと思われたくなくて、真冬も朝6時には家を出て、人通りのない通学路を使って学校へ向かった。

学校では少しでも自分の臭いを広めてしまわないように、極力空気を動かさないように動きを最小限にし、時が過ぎるのをじっと待った。

私は四六時中やたらと自分の臭いを嗅いで確かめようとしたが、臭いは感じなかった。

今思えば臭くなかっただろうから当たり前なのだが、当時は自分が臭いのは動かしようのない事実であったものだから、私の鼻はもう自分のひどい臭いに慣れてしまってバカになっちゃったんだなあと悲しんでいた。

困ったのは母である。

中学生の娘に毎日風呂場を占拠され、学校からは娘さんの登校が早すぎますと苦情が入り、注意しても私は臭いからこうするしかないんだと聞き入れない。どうしようもなくなって母は私をかかりつけの小児科医のもとに連れて行った。

お医者さんによって自臭症だと診断された私は、それでもその診断を信じることができなかった。

風呂場を占拠して血が出るまで体を洗うなど行動が不審で困るから、小児科医と母親が共謀して臭くないと現実に反することを思わせようとしているのかもしれない、とさえ考えた。

結局中学を卒業するまでいじめは続き、私の自臭症も治らなかった。

いくら母に臭くないと言われても、身近かつ信頼関係も築けていなかったので信じきることができなかった。

 

高校生になって人間関係が一新されると、少し改善された。

相変わらず自分は臭いと思っていたので不審な行動は多いし、極力一人で居たがる人間だったが、進学校だったこともあり誰にもいじめられなかった。仲良しグループに所属することはなかったが、程よい距離感の友人もできた。

私は臭いという自覚を頑なに持ち続けたままだったので、「臭いのにみんな優しくしてくれるんだ、さすが育ちの良い進学校の生徒たちだ...」と思っていた。

思い込みって恐ろしい。

「くさい」という呪いの言葉をいつしか自分で自分にかけるようになっていた。

高校生の時の意識としては、私は臭いけれど周囲の民度が高いために普通に生活させてもらっている、という感じだったと思う。

友人が抱きついてきたらやんわりと引き剥がしたし、人が集まる集会はすこぶる苦手で息を潜めていたし、 自分から人に話しかけたりという迷惑行為はとても行えなかった。

結局青春らしいイベントはほぼなかったが、それでも臭くて普通の人間じゃない私が、普通の人間様たちに迫害されず仲良くしてもらえていることが幸せだったのを覚えている。 

自臭症が治ったのは、つまり自分が臭くないことに気づいたのは、東京に出てきてからだ。いじめられなくなって3〜4年も経ったころ。

東京はとにかく他人との距離が近い。

田舎ではありえない距離に他人がいるので、最初は本当にびっくりした。そんな他人との距離が近い東京で、また臭さで迷惑をかけてしまうのではないか、通りすがりの人に臭いと怒られたらどうしようとビクビクしていた。

 しかし暮らし始めてみて、特に誰にも怒られないし、というかそもそも私の臭いなど気にしていないようだと気づいた。

 大学でもごく普通に友達ができて遊びに誘ってもらうことも普通にあったし、アルバイトの面接も普通に受かった。

もしかして私は、臭くない普通の人間なのではないか?という疑念が頭に浮かび始め、それは少しずつ確信に変わっていった。

日常生活を送る中で、どうやら臭くなさそうだと徐々に気づいていったというなんとも地味な話である。

 今でも人より臭いケアグッズには詳しいし、汗をかくと焦ってトイレに駆け込んで汗拭きシートで全身拭いたりはするが、もう自分は臭いという呪いは解けた。

もう血が滲むまでアカスリで肌をこすらなくていいし、歯磨きも10分くらいで終えられるし、満員電車にも乗れるし、友人に抱きつかれても引き剝がさなくていい。

みんなと同じ普通の人間として生きていられることが、とても嬉しい。

 

もし過去の私みたいに、自分を臭いと思う人がこのブログに辿りついて読んでくれていたら、とりあえずは大丈夫だよと伝えたい。どんな境遇で自臭症になるかは人によるが、これは解ける呪いだと思う。

自分が臭くない側に回ってみて分かったことだが、加齢やタバコで臭い人間はそれなりに存在しており、みな自分が臭いという自覚がない。

「自分は臭いのではないか?」という疑念(もしくは確信)を抱いているということは、何らかの対策を講じることができるということだ。

臭いかも、と思ったらまず臭い対策をすればいい。 

呼気の臭さを測る機械などもあるし、口臭対策、体臭対策の商品はたくさんある。

それを片っ端から試してみて、それでも自分が臭いという恐怖が消えないのなら、それは呪いがかかった状態にある。

呪いがかかった状態にあることを自覚するのは非常に難しい。自分がそうだったからよくわかる。

騙されたと思って、自分がいかに臭いかを確かめられる場所に行ってみてほしい。

混雑する電車に乗ったり、人が多い場所に行ったりして、周囲の反応を伺ってみるとか。臭い人が近くにいるときに、そっと口元を抑えたり顔をゆがめたりする人も多い。

そういった反応が見られなければ、臭くないはずだ。

それでも不安が消えないなら病院に行くといい。

自分が臭いというのは、とてつもなく辛いことだ。どうか呪いをといて、顔をあげて歩いて自由に息を吸えるようになってくれたらと思う。

新しいチーズを求めて(古く小さい広告代理店の未来についての憂い)

小さい総合広告代理店で働いて、1年と3ヶ月が経った。

それなりに楽しく働きつつも、私はいま転職しようとしている。

 

今の会社には未来がなさそうだ。

これからは、純粋な代理業のみでは生き残っていくのは難しいのではないかと思うのだが、上司や経営層にその危機感は見られない。売上が徐々に減少しているにもかかわらず、過去の成功に味をしめ慢心しているおじさんたちと働くの、もう嫌になっちゃった。

  

代理業の面白いところは、様々な事業に関われるところだと思う。手数料ビジネスなので薄利なのが難点だが、多数の事業にちょっとずつ関わる中で経験値とノウハウを蓄積できる。

そして顧客の事業を俯瞰する視点を持っているという強みがある。これは顧客自身にはどうしても手に入らない視点であり、我々の大きな価値だ。

ただ、代理店は基本的に不利な立場に置かれやすい。

世の中にはこんなにも代理店が溢れているが、そんなにこぞってやるような旨味のある仕事なのだろうか...。

顧客は我々代理店をいかに安く使うかというところに心血を注いでいるし、問題が起きた時は代理店に責任と損害を押し付けようとしてくる。うまく立ち回らないと顧客にいいように使われて捨てられてしまう危険性がある。

代理店の営業として働いてみてびっくりしたのが、大胆に値切ってきたり、仕事をあげるからと雑用を押し付けてくる顧客もそれなりにいることだ。

代理店の利益が少なくなるような値切りを、代理店の人間に面と向かってするような神経の図太さを私は持ち合わせていないので、最初のうちは戸惑ったし、その図太さに感心したものだ。

代理店の人間とて、霞を食って生きているのではないのだが。それを笑顔で面と向かって値切れる図太さがある人間たち、生きていくのがさぞかし楽なことだろう。 

そして、それをあっさりと、ヘコヘコしながら受け入れる上司にも驚いた。

あまりにも簡単に値引きして自社の利益を減らしてしまうし、ありえない量の雑用(大学生のバイトでもできるような大量のデータ入力など)を引き受け、私のような下っ端にそれを押し付ける。

社員である私の時間を雑用によって奪われることで、私が本来その時間で作り出せたであろう利益を失っているのだが、それについてはどう思っているんだろうか。何も考えてないんだろうけど。

なんでヘコヘコと笑顔で頭を下げながら不利益を受け入れているんだろう。不利益に抵抗しない、怒らないって生き物の在り方として気持ち悪い。

上司に抗議したことがある。

なぜそんなに簡単に値引きをし、関係ない雑用を引き受けるのか。

明らかにバカにされている、断ればいいじゃないかと。

上司は、受け入れないと他の代理店に扱いを取られてしまうから受け入れるしかないと答えた。

一度値引きをしたり雑用を受け入れたりと自分達を安売りしてしまうと、顧客はもうそれ以上の金額を払わない。値引きできるなら最初からしとけくらいの態度だし、次はさらに安くしようと交渉してくる。

そのうちこちらがお金を払って仕事させてもらうようになりそうな勢いだ。

仮にうちが値引きや不利な条件を断ったとして、他で安易に値引きをする代理店が現れるとそこからは地獄の値引き合戦が始まる。あっちの代理店はこれだけ安くなった、お前らも安くできるだろう、どこまで安くできるんだ、と。

媒体に交渉し、限界まで自社の取り分を削り値引きをして案件を獲得したとして、残るのは削りに削ったわずかなマージンである。かけた時間と手間を考えると、とても割りに合わない。

そういう顧客は、代理店の人間は霞を食って生きていると、心の底から思っているのかもしれない。霞を食って生きているんじゃないんですよ、と顧客に言える上司のもとで働きたいよ。

 

案件を獲得した上で、値引きをさせないにはどうしたらいいか。

上司に聞くと、それは営業の手腕だ、人柄だと返ってきた。私はそんな不確かなものに頼って仕事をするのは危険だと思う。まずそんな人柄持ち合わせていないし、小手先の営業テクニックが金に勝てるのだろうか。

というかまあ、そもそも、上司が今までやって来られたのは、決して営業の手腕や人柄ではないと思う。ショックを受けるだろうから本人達には言わないが、人柄がいいからなんて不確かな理由ではないように見える。上司の人柄、別によくないし。

今までこの会社がやってこられたのは、営業をかける業界を絞り、閉鎖的で保守的なその業界の独特のルールに詳しくなることで、他の代理店より顧客の手間を減らすことができたからだ。

しかし徐々に他の代理店もこの業界に本格的に参入してくるようになり、ここ数年は案件を取られることが昔より増えてきたようだ。業界が昔ほど閉鎖的ではなくなってきて、他の代理店が入りやすくもなった。うち以外の選択肢も見えてきたため、顧客はより安い方、より使い勝手の良い方の代理店に仕事を任せようと考えるようになった。

独占してきた市場に競合が参入し、競争が生まれる。そうしてここ数年は売上が徐々に減り、バカみたいな価格競争をしている。

もし本当に人柄で仕事を取れるのであれば、他の代理店が参入してきても安泰だったはずだ。そんな不確かなものでビジネスしているんじゃない。多少長い付き合いがあろうと、コスパが悪ければあっさり切られる。

それが会社の今の状況であるらしい、1年と少し働いてみて見えてきた現実だ。

 

代理業の我々が自分の利益を守るためには、値引きをさせないためには、舐められないためには。代理だけじゃない、かつ顧客自らでは獲得不可能な価値が必要だ。

それは何か。

先に書いたように、代理店として様々な事業に関わって得た経験・ノウハウの蓄積と、顧客の事業を俯瞰する視点だと思う。

我々広告代理店で言えば、様々な事業のプロモーションの仕方を知っていること、広告そのものに関する知識があること、顧客を客観視できること。

これを活かして広告の代理業だけじゃない価値を提案するとしたら、プロモーション戦略をコンサルティングすることだろう。戦術の部分を代理で行うだけではなく、戦略まで手がけるパートナーになってしまえばいい。

プロモーション戦略のプロとして顧客の事業戦略にまで入り込むことで、替えの効かない存在になる。

 

この会社は、もうさすがに変わらなければならない。変化する状況から目を逸らさず、危機感を抱いて変わっていかなければ、淘汰されるだけだ。

しかし上司は現実を見ようとしない。此の期に及んで人柄という不確かな要素で仕事を獲得できたと思っているし、今後もそれで大丈夫だと思っている。

他社に案件を持っていかれることが増えてきているにも関わらずだ。

上司と何度か話す中で、説得はかなり難しいと悟った。

私に上司を説得し、この会社を変える力があったら良かったのだが。現実から必死で目を逸らし、過去の成功に甘んじ、一度見つけたチーズにしがみつく人間を動かすのは容易なことではない。

 

この会社に留まっていては、私までもが戦術の代理しかできない人間になってしまう。

私は生きていくために、値切られない価値を身に着ける必要がある。戦略を考えられる人間にならなければ。

そんなわけで、転職をしようと決めた。

ブログをはじめました

23歳の夏。ブログを始めることにした。

目的は3つある。

1.自分の考えを言語化するため。

2.人生の備忘録として。

3.誰かに伝えるため。

 

1.自分の考えを言語化するため。

私は面接が苦手だ。

自分はこういう人です、というのがうまく言えない。言いたくない。

私を審査するために必要なことだと分かってはいるが、過去の失敗や挫折は何ですかとか訊かれたくない。

基本的に反抗的な性格をしているので、分かったような顔をされるとお前に私の何がわかる、と思ってしまう。

しかし最近、それではいけないと思い始めた。

23歳にして。遅い。

人間社会で生きていくには、自分がどういう人間で、どんな価値観を持っていて、何ができて何ができないのか、それを出来るだけ的確に他人に伝える必要がある。

例えばアスリートのように、他人と明確に差別化できるスキルを持たない私にとって、どうやら自分自身を言葉で説明するのは避けて通れないことであるようだ。

簡潔に、明確に言語化して、必要な時に取り出せるようにしておかないと、今後生きていく上で自分が困る。

だからブログに綴って、私の考えを言語化して把握しようと思う。

 

2.人生の備忘録として。

 私は記憶力が致命的に悪い。

営業職のくせにおじさんの顔が覚えられないので、会ったことがある人に名刺交換を求めてしまう。何度か訪問したことがある場所でも、地図がなくてはたどり着けない。社内で電話を取り継ぐ際に、つい3秒前に聞いたのに誰宛の電話かを忘れてしまう。何につけてもメモが欠かせないので、会社のデスクは付箋だらけだ。

昨日納豆を買ったことを忘れて今日も納豆を買ってしまう。頭を洗ったことを忘れて2度頭を洗ってしまう。よく会う友人に同じ話を何度もしてしまう。人の話もあまり覚えていないので、何度か聞いた話も初めて聞いたような反応をしてしまう。

短期記憶も長期記憶も両方だめ。

視覚情報も聴覚情報も覚えておくのが苦手だ。 

唯一、嗅いだことのある匂いで忘れていた記憶を呼び起こすことはできる、と思っていたが、嗅覚の記憶は得意な人が多いらしい(?)という記事を何かで読んだ。これもいつどこで読んだのかさっぱり忘れたが。

そんな感じで毎日新鮮に過ごしているが、覚えていられない自分がもどかしいし、忘れたくない思い出を取り出せるようにしておきたいと思うようになった。

思い出は私が生きた証でもある。

それを書き留めて、忘れた頃に取り出してみるのは楽しいかもしれない。

未来の自分がワクワクするための、タイムカプセルだ。

 

3.誰かに伝えるため。

もしかしたら私の考え方、経験が、誰かの共感を得て、おこがましくもささやかな救いになる可能性があるかもしれない。

そう思ったのはつい昨晩のことである。

大学で出会って、今年で6年目になる友人と夜のファミレスで語り合った。

 その友人は、母親との関係に問題を抱えている。

父、母、兄弟が上と下に1人ずつ。田舎で3人兄弟の真ん中に生まれ、東京の大学に進学した。

目に見えてわかる暴力などはなかったものの、母親から日常的に心無い言葉を投げかけられ、母が他の兄弟に向ける愛情と自分に向ける愛情に明確な差があった。

具体的にはブスとよく言われていたと、彼女は私も含め周囲の友人に、明るく、なんてことないように話すことがあった。今でもしきりに自分自身をブスだと言って貶める。明るい調子で、笑顔のままで。呪いのようだと思う。

それなのに彼女は大型連休には必ず実家に帰り、そしてまた傷つけられて東京に戻ってくる。

私にはそれが解せなかった。

彼女の家族関係は私のそれによく似ている。

田舎、3人兄弟の真ん中、私にだけ「産まなければよかった」と言う母親、大学進学とともに上京したこと。

ただ、私は上京してからはあまり親に会わないようにしている。

正月も毎年バイトのシフトを入れた。帰省したのは法事と母が入院した時くらいなものだ。

また傷つけられるのが怖いし、これ以上母を嫌いになりたくもない。

母は気持ちに余裕のあるときは、絵に描いたような母親だったと思う。私の描いた絵を褒めてくれた。幼稚園でいじめられれば家から遠い幼稚園へ転園させ、送迎してくれた。誕生日プレゼントが欲しいと駄々をこねればぬいぐるみを買ってくれた。私の好きなお菓子を買っておいてくれた。私が庭のオジギソウが好きだと言えば家の中に鉢植えをおいてくれた。私が縁日で取ってきた金魚を育て、死んだら庭に埋めてくれた。料理も教えてくれた。受験の時期は気遣ってくれた。

愛してくれた思い出はいくらでもある。感謝はしている。

ただ、実家から離れた田舎で3人の子供を育てるのは大変だったんだと思う。特に私のような変なこどもと、自閉症の弟がいては尚更のことだ。

私は兄弟の中で一番反抗的で、理想的な母親を演じる母に対して理想的な子供でいられなかった。発育が遅かったのか小学校低学年になっても呼びかけに応じなかった。何かと反抗的で、ゲームや漫画を欲しがるし、家の手伝いは嫌がる。母が弟ばかり構うのが気に入らなくて弟を攻撃した。縁日の金魚はもらってくるなと言われたのにもらってきて育てたいと主張した。おねしょはなんと中学生になっても治らなかった。学校でも馴染めず、いじめられて帰ってくる。

こうして書き出してみれば「産まなければよかった」「お前が一番可愛くない、憎い」「お金さえあれば遠く離れた全寮制の学校に放り込めるのに」と言いたくなる気持ちもわかる。母も十分傷ついて、苦しんだのだろう。

大人になって、親と距離を置いてみてそれが分かった。

母への憎しみは消えないままに、同時に心から感謝できるようになった。

親への感謝と憎しみが同時に成立し得る感情であることを自覚した時、気持ちがとても楽になったことを覚えている。

感謝の気持ちから、たまに手紙を書いて送るようになった。母にLINEを教え、私からは連絡しないが母からの連絡には返信をするようになった。一方で、自分を守るために対面で会うことや、会話せざるを得ない電話はしない。

それが私なりの折り合いのつけ方だ。

私はこの話を他人に一切したことがなかった。

察しの良い別の友人に、あなたは家族の話をしないよね、と言われた時もうん、とだけ答えた。

他人に理解されると思わないし、理解されたくもない。誰にも関係のない、私の個人的な葛藤に興味すら示されたくない。

ただ、昨晩、似た境遇にありながら自ら家族に会いに行き、傷ついて帰ってくる彼女に我慢できなくなった。

私は自分と母親の話をした。

彼女と似た状況で育ったこと、母親への感謝と憎しみが心に同居していること。たまに手紙を書いて送り、LINEが来たら返すが、対面での接触は避けていること。

 なぜ友人が家族に会いに行くのかは分からないが、自分を苦しめるものからは例えそれが家族であっても私は距離を置くことにしたということ。

 それからは2人で、たまに抑えきれない涙を拭いつつ自分の葛藤を話した。夜のファミレスでやることではなかったと思うが、空いてたし隅っこのカウンター席だったので許してほしい。

終電で帰るために店を出た後、彼女は私に救われた、ありがとうと言ってくれた。

似た経験を持つ友人が少しでも楽になってくれたなら、勇気を出して話してみてよかったと思う。私も少しすっきりした。誰かにずっと言いたかったのかもしれない。

私は自分の話をするのが嫌いだ。

正しく理解されるとも、理解してほしいとも思っていない。私のことを理解したような顔で擦り寄ってくる人間が何よりも嫌いだ。

でも昨晩のことを経て、自分の経験や考え方を言語化してみようと思った。

そしてそれをインターネットに放流して、会ったこともない誰かの救いになれたら最高だし、なれなくても私がすっきりする。

何かしら得るものがあったと、この世界のどこかで誰か1人でも思ってくれたら幸せだと思う。