幸福追求権

フィクションだったらよかったのに

自臭症だったはなし

「えっ!?わたしの口、臭すぎ...???」

ネットサーフィンをしていたら、不安を煽ることで商品を買わせようとする広告が出てきた。

わたしはこの手の広告が嫌いだ。だいたい必要以上に汚い画像も添えられていたりするので単純に嫌な気分になるし、自社の商品を買わせたいがために安直に他者を不安にさせようとする心の持ちようが気に食わない。

それは今回どうでも良い。

わたしも自分の臭いに病的に悩んだ時期があったなあと久々に昔を思い出したのだ。

 

「自臭症ですね。」

行きつけの小児科の先生は言った。

「自分が臭いと思い込んでしまう心の病気です。実際には決して臭くありませんからね。臭いんじゃないかと不安になった時には、お母さんに嗅いでもらって確かめるといいでしょう。」

今この瞬間も自分が臭いと信じて疑わない14歳のわたしは身を縮こませて一言も発さず、私を病院まで引っ張ってきた母親は悲しそうな顔で先生と話していた。

 

私は中学生の時いわゆるいじめられっ子だったのだが、「くさい」という言葉には特別苦しめられた。

いくら歯を磨いても、体を洗っても、私はきっと内側から腐って腐臭を発しているに違いない、人間の形はしているけれどみんなとは違う生き物なんだろう、と本気で思っていた。内臓も全部取り出して、空洞になった体もひっくり返して石鹸で洗いたかった。

せめて体の表面だけでも臭いを減らせるようにと、毎朝早く起きては1時間以上も風呂場を占拠してアカスリで全身をこすり続け、皮膚からは血が滲んでずっと痛かった。すれ違う人に臭いと思われたくなくて、真冬も朝6時には家を出て、人通りのない通学路を使って学校へ向かった。

学校では少しでも自分の臭いを広めてしまわないように、極力空気を動かさないように動きを最小限にし、時が過ぎるのをじっと待った。

私は四六時中やたらと自分の臭いを嗅いで確かめようとしたが、臭いは感じなかった。

今思えば臭くなかっただろうから当たり前なのだが、当時は自分が臭いのは動かしようのない事実であったものだから、私の鼻はもう自分のひどい臭いに慣れてしまってバカになっちゃったんだなあと悲しんでいた。

困ったのは母である。

中学生の娘に毎日風呂場を占拠され、学校からは娘さんの登校が早すぎますと苦情が入り、注意しても私は臭いからこうするしかないんだと聞き入れない。どうしようもなくなって母は私をかかりつけの小児科医のもとに連れて行った。

お医者さんによって自臭症だと診断された私は、それでもその診断を信じることができなかった。

風呂場を占拠して血が出るまで体を洗うなど行動が不審で困るから、小児科医と母親が共謀して臭くないと現実に反することを思わせようとしているのかもしれない、とさえ考えた。

結局中学を卒業するまでいじめは続き、私の自臭症も治らなかった。

いくら母に臭くないと言われても、身近かつ信頼関係も築けていなかったので信じきることができなかった。

 

高校生になって人間関係が一新されると、少し改善された。

相変わらず自分は臭いと思っていたので不審な行動は多いし、極力一人で居たがる人間だったが、進学校だったこともあり誰にもいじめられなかった。仲良しグループに所属することはなかったが、程よい距離感の友人もできた。

私は臭いという自覚を頑なに持ち続けたままだったので、「臭いのにみんな優しくしてくれるんだ、さすが育ちの良い進学校の生徒たちだ...」と思っていた。

思い込みって恐ろしい。

「くさい」という呪いの言葉をいつしか自分で自分にかけるようになっていた。

高校生の時の意識としては、私は臭いけれど周囲の民度が高いために普通に生活させてもらっている、という感じだったと思う。

友人が抱きついてきたらやんわりと引き剥がしたし、人が集まる集会はすこぶる苦手で息を潜めていたし、 自分から人に話しかけたりという迷惑行為はとても行えなかった。

結局青春らしいイベントはほぼなかったが、それでも臭くて普通の人間じゃない私が、普通の人間様たちに迫害されず仲良くしてもらえていることが幸せだったのを覚えている。 

自臭症が治ったのは、つまり自分が臭くないことに気づいたのは、東京に出てきてからだ。いじめられなくなって3〜4年も経ったころ。

東京はとにかく他人との距離が近い。

田舎ではありえない距離に他人がいるので、最初は本当にびっくりした。そんな他人との距離が近い東京で、また臭さで迷惑をかけてしまうのではないか、通りすがりの人に臭いと怒られたらどうしようとビクビクしていた。

 しかし暮らし始めてみて、特に誰にも怒られないし、というかそもそも私の臭いなど気にしていないようだと気づいた。

 大学でもごく普通に友達ができて遊びに誘ってもらうことも普通にあったし、アルバイトの面接も普通に受かった。

もしかして私は、臭くない普通の人間なのではないか?という疑念が頭に浮かび始め、それは少しずつ確信に変わっていった。

日常生活を送る中で、どうやら臭くなさそうだと徐々に気づいていったというなんとも地味な話である。

 今でも人より臭いケアグッズには詳しいし、汗をかくと焦ってトイレに駆け込んで汗拭きシートで全身拭いたりはするが、もう自分は臭いという呪いは解けた。

もう血が滲むまでアカスリで肌をこすらなくていいし、歯磨きも10分くらいで終えられるし、満員電車にも乗れるし、友人に抱きつかれても引き剝がさなくていい。

みんなと同じ普通の人間として生きていられることが、とても嬉しい。

 

もし過去の私みたいに、自分を臭いと思う人がこのブログに辿りついて読んでくれていたら、とりあえずは大丈夫だよと伝えたい。どんな境遇で自臭症になるかは人によるが、これは解ける呪いだと思う。

自分が臭くない側に回ってみて分かったことだが、加齢やタバコで臭い人間はそれなりに存在しており、みな自分が臭いという自覚がない。

「自分は臭いのではないか?」という疑念(もしくは確信)を抱いているということは、何らかの対策を講じることができるということだ。

臭いかも、と思ったらまず臭い対策をすればいい。 

呼気の臭さを測る機械などもあるし、口臭対策、体臭対策の商品はたくさんある。

それを片っ端から試してみて、それでも自分が臭いという恐怖が消えないのなら、それは呪いがかかった状態にある。

呪いがかかった状態にあることを自覚するのは非常に難しい。自分がそうだったからよくわかる。

騙されたと思って、自分がいかに臭いかを確かめられる場所に行ってみてほしい。

混雑する電車に乗ったり、人が多い場所に行ったりして、周囲の反応を伺ってみるとか。臭い人が近くにいるときに、そっと口元を抑えたり顔をゆがめたりする人も多い。

そういった反応が見られなければ、臭くないはずだ。

それでも不安が消えないなら病院に行くといい。

自分が臭いというのは、とてつもなく辛いことだ。どうか呪いをといて、顔をあげて歩いて自由に息を吸えるようになってくれたらと思う。