幸福追求権

フィクションだったらよかったのに

宇崎ちゃんの献血ポスターについて、広報の側面から考えたこと

日本赤十字社による「宇崎ちゃんは遊びたい!」とコラボした献血促進ポスターが、ここ数日話題になっている。

bunshun.jp

私はこのポスターについては、否定的な立場をとる。

広告業界の隅っこにいる人間として、日赤はまずいやり方をしたなあと思うし、たまに献血に行く一人の女性としてもシンプルに残念に思う。

Twitterで検索すると、日本赤十字社がどの程度公的なものであるかとか、そもそも宇崎ちゃんの表現は性的なのかとか、他の有名な漫画における巨乳キャラの存在や性的表現はどうかとか、表現の自由とか、現実に胸の大きい女性の気持ちを男性のオタクが代弁してたりとか、オタクがきもいとかフェミニストがうるさいとか、元の問題が何であったか忘れそうなくらいに話が広まり、あちこちで論争が起きている。

ジェンダーに関する問題提起が為されたとき、いつもごった煮の闇鍋みたいな様相を呈してしまうのは何なんだろう。様々な意見を見ていると自分の考えまでぐちゃぐちゃになりそうだ。ジェンダー論に関しては難しくて私の中では考えがまとまりそうにない。

しかし、広告業界に身を置き、企業と消費者を繋ぐコミュニケーションに関わる人間として、この件がどうまずかったのかは言語化できた方が良いだろう。

広報的な側面から、私なりに考えたことを書き留めておく。

集客のためにどこまで魂を売るのか

私が日赤の広報担当だったら絶対にこんなことしなかったのに、と素直に残念なのだが、日赤の広報やキャンペーン企画はどんな人たちが担っているんだろう。どういう考えでどんな会議を経て今回の成果物が世に出ることになったのか、とても興味がある。企画書とか流出しないかな...。

普通に呼び掛けても集客できないから、コンテンツの力を借りて献血の基準を満たす人間に来てもらおう!とアニメや漫画、アイドルなどとコラボするのは有効な手法だと思う。今までも日赤は多くの漫画やアニメ、その他影響力のある様々なコンテンツとコラボしており、それぞれのファンを集客してきた。

今回も「宇崎ちゃんは遊びたい!」とコラボすること、そのものは問題ではない。性的な内容も含まれる漫画ではあるらしいが、それは実際に読んだことのある人にしか分からないことなので、やり方によっては問題にならなかったはずだ。

何がまずかったかというと、クリエイティブである。

過度に胸が強調された給仕服を着た後輩らしき幼げな顔の少女が、「センパイは注射が怖いから献血しないんスか」と挑発的に煽るというものだ。

コラボキャンペーンを実施する場合、注意しなければならないのは「集客」と「ブランドイメージ」のバランスである。

コンテンツとコラボするときに見込まれる効果としては、

①親しみを感じさせる

②そのコンテンツのファンの興味をひく

の2つがあると思う。

例えばドラえもんクレヨンしんちゃんなど誰もが知っているコンテンツとのコラボは①である。「あ、ドラえもんだ」と幅広い人々の関心を薄く引きつけることができる。知名度があり、かつ概ね好意的に受け止められているコンテンツの力を借りることで、まずは知ってもらい、悪くないイメージを抱いてもらう効果を期待する時に実施したい方法だ。

集客の効果は低めだが、ブランドの周知とイメージアップに結びつく。

一方、②そのコンテンツのファンの興味をひく効果があるのは、一般の知名度はそこまで高くないが、熱心なファンがいるコンテンツとのコラボである。

これは何が良いかというと、コンテンツを支えるファンが少ないほどファンの熱意は高い傾向にあり、集客に結びつきやすい。母数が少ないのでそのコンテンツを知らない大多数の人には素通りされてしまう。だがその分、ファンは自分がコンテンツを支えなければくらいの気概でいたりするので、素通りせずお客になってくれる可能性が高い。

ブランドの周知やイメージアップには寄与しないが、集客には結びつく。

 「宇崎ちゃんは遊びたい!」は誰もが知っているような国民的なコンテンツではないので、②の効果を見込んでいたのだろう。宇崎ちゃんファンの興味をひき、献血ルームに足を運んでもらおうと。

その戦略はいい。

しかし、 「大多数の人は素通りするが特定のファン層に刺さる」を実現するためには、大多数の人に素通りしてもらわないといけない。

今回のポスターは集客したい欲が前に出過ぎたのか、宇崎ちゃんが常にこうした特殊な巨乳表現で描かれなければならないと決められているのかは知らないが、素通りできずにツッコミを入れる人が多数現れ、騒動になった。

大多数の人が素通りできるクリエイティブにしていたら、宇崎ちゃんファンでない人の脳内でいらない情報として処理され、意識に上ることもなかったはずだ。

「宇崎ちゃんファン以外の人が素通りできるか」という視点での熟慮が欠如したままこのキャンペーンを実行し、素通りできないクリエイティブを公共の場に出してしまったのが日赤の失敗である。

「宇崎ちゃんは遊びたい!」が多少なりとも性的な表現を含むコンテンツであるならば、クリエイティブは特に慎重に決定されるべきだった。

公的な性格の事業を展開する日本赤十字社が、性的な表現を含むコンテンツとコラボすることがそもそもブランドイメージには良くないことだと思う。悪くはないけれどグレーゾーンというか。

ブランドイメージに良くないことを集客のために行うというのは、魂を売り渡すような行為だと私は思う。そこまで必死になる理由もきっとあるのだろうから、決して否定はしないけれど、自分のクライアントには絶対勧めない。

集客のためにどこまで魂を売るのか、難しい問題だとは思うが、宇崎ちゃんを知らない人にまで「エッチな漫画に魂を売りましたよー!」と宣言するような今回のクリエイティブ、やっぱり相当まずいと思うのだ。

なんでまずいクリエイティブが世に出ちゃったのか

このポスターに関わった人たちは、おそらく時代の流れに鈍感なのだと思う。

今回のクリエイティブ、宇崎ちゃんファン以外の人が素通りできないというよりは、時代の流れによって「素通りしてもらえなくなった」というべきかもしれない。

Twitterでの議論を追う中で、昔の漫画やアニメを引っ張り出して「巨乳を強調する表現は他にもあり、受け入れられている」という主張が見られた。

 

たしかに昔からこういった表現はあり、批判の声もあっただろうが見過ごされ、広く一般に受け入れられてきたのは事実だろう。

しかし時代は変わっていくもので、常識もまた変わっていくものである。「先例があるからOK」というのは、「私は自分の頭で考えるのをやめた馬鹿です」と宣言するに等しい極めて愚かな発言である。

時代に合わせて価値観をアップデートすることができなくなった時、人は老害になるんじゃないだろうか。

女性が女性であるがゆえに不愉快な目に遭うことが、やっと可視化され、問題視されるようになってきたこの時代に生きていることを、今一度自覚してほしい。

幼げで巨乳な給仕姿の少女が男性を煽るポスターを献血ルームの前に置くことで、宇崎ちゃんファンではない人がどう思うか。女性はどう思うか。

もしかしたら女性の献血希望者を遠ざけることになる可能性もあるかも、とか一瞬でも疑問に思ってほしかったというのは望みすぎかもしれないけれど。

私がもし献血をしようと訪れた先でこのポスターを見たら、またの機会にしようと諦めると思う。露骨に性的かつ挑発的な美少女キャラのポスターにつられてやってきた男性が中にたくさんいると思うと、正直足を踏み入れるのは怖い。(もちろんこれは私一人の意見なので、気にしない女性もいるだろうが。)

レイプ、痴漢、ストーカー、覗きなど性犯罪が後を絶たないこの国において、女性はその容姿にかかわらず、多少なりとも自意識過剰気味に自衛し、身を守るためにリスクを避けて通らざるを得ない。

コアな層を狙っての集客キャンペーンが有効なのももちろん分かるが、万人に開かれた献血ルームであるために、時代の流れには敏感であってほしい。

エッチな本はベッドの下に隠そう

まあでも、問題として取り上げられ、議論が紛糾しているというのは意識が変わりつつあるということだ。

いい加減、公共の場での性的な表現は控えましょうと。

(エッチな本は家族に隠れて読みましょう、とコトの本質はそう変わらないと思うのだが、エッチな本を家族の前で読める男らしい人たちもまだまだいるのかもしれない。)

問題提起してくれたアメリカ人男性のような方や、ネット上でも男性でありながらこのポスターのまずさを指摘する方がいることは、一筋の希望である。

変化は急激には起きないけれど、着実に変わっていっていることに希望が持てる。この変化の遅さだと、私はきっと女性が女性であることで損をしない世の中を見ることは叶わないだろうけど。

 

最後に、日本赤十字社の人には誠実な対応を期待したい。

失敗したときの対応はものすごく大事だ。人間にとっても、団体にとっても。

おそらく今回の件についてまだ公的な声明は何も出ていないと思うのだが、悪い印象を持った人がそれなりの数いる中で、ダンマリを通すのは不誠実だ。

一企業の対応としていかがなものか。広報の人、ちょっと目を覚ましてほしい。

黙っていればやり過ごせると思っているのかもしれないし、確かにいつまでも議論が盛り上がっていることはないだろう。ただ、しばらく経って話題に上らなくなったとしても、今回のキャンペーンで良くない印象を持った人が完全に忘れ去るわけじゃない。

もしかしたら今回のキャンペーンに問題はなかったという認識でいるから黙っているのかもしれないが、問題がなかったにしてもこれだけ問題視されていることについて、何かしらの見解は示してほしい。

もし失敗だったと思っているならば、謝罪して再発防止に努め、その姿勢を積極的に見せれば、むしろ株を上げるチャンスに転換できる。

公的な事業を多数手掛け、多くの人命を救う力のある日本赤十字社には、時代の変化に敏感であってほしいし、誠実であってほしいと思う。